2017年40代で多発性骨髄腫になり2年後の再発からの憩室炎破裂からの治療・・・

2017年診断から2019年再発・・・日々の変わりない日常までの闘病日記

このブログに出会ったきっかけ

今回旦那様から看護師さんから差し入れしていいものとダメな物リストみたいな紙もらったよ。



ふりかけ持ってきてって言われ持って行ったふりかけがダメみたいで個装でないとダメみたいで回収やーーー


とライン来たのがきっかけでYahooで検索…



あるブログの記事に出会いました…



その人のブログを見ていて…



ほんとに命ある限り一生懸命後悔しないように笑顔でいよう…
そばで支えようと努力してたつもりでした。



しかしそのブロガーさんとあたしが勝手な出会いと思ってるだけど…
自分の甘さを実感…



本当に大変なのはこれから…



しかし妻であるあたしの認識は甘いと実感して
9月2日に再発した日からのことを残そうと思い出しながら…
まだ今日にたどり着かないけど…
今日にたどり着くまで
今日までの半年を忘れてることを思い出いながら綴ることにしました



あたしたちは出会ったのは2002年2月…



そこから半年もかからず運命の人と思い…
あたしは初婚だけど…
弟の子供を預かって育ててたので子連れで
彼にとっては2人目の妻となりました



二人の女の子を授かりました



弟の子供は学校のことや住民票のこと名字のこと…
本当に悩み
弟のところに帰ることとなり、
彼女にとってママはあたし…
本当のお母さんは友達みたいな関係に…



しかしあたしたち夫婦はまだ若かった…
些細なことが許せず蓄積して結婚10年で一回離婚という選択をしました。



それから3年経った頃かな…
彼からがん発覚の連絡があり二人でご飯を食べに行き病状を聞きました




金銭的に苦しいとのことで治療はしないとか
破産するとか
生活保護を受けるとか色んなこと言い出しました



あたしはお金は何とかする
治療のお願いをしました



彼はカードのリボルビングでもするとのこと…



彼と建てた家は連帯保証人だったため名義変更してあたしの家となりました



とにかく彼は何とか仕事に復帰するまで回復しました



そして命について考える事件が起きました