2017年40代で多発性骨髄腫になり2年後の再発からの憩室炎破裂からの治療・・・

2017年診断から2019年再発・・・日々の変わりない日常までの闘病日記

ようやく多発性骨髄腫の入院治療開始

2月20日から緊急入院で絶対安静の腹帯と肋骨のコルセットでぐるぐる巻き



治療が始まると…


高熱に苦しく今までロキソニン服用は腎臓に負担がかかるので
ロキソニンなしで大腸の手術後2回とも耐えたけど…



今回は耐えられず腎臓の様子を見ながら服用で乗り切る



治療の薬を減らしたりしての治療…



しんどそうに寝てる姿見ると
自分が家事、育児、仕事してからの病院もしんどくない…



後悔はしたくない
毎日顔を見てたい…
子供たちもママ行ってあげてと…
たまに家事してくれてると感謝




3月18日退院…



子供たちなりにコンビニだけどパパの好きな物買ってきてくれてて
退院おめでとう



笑顔



家族4人揃ってるのがいいよね



次の日、あたしは会社の年度末最後の幹部会でどうしても行かなくてはいけなくて…
お弁当を買って待っててもらうことに…



終わって帰ると…



おかしい…

命ある限り…

命ある限り…



本当に信じられない出来事が…



あたしたちは離婚してから3人家族になり

弟たちに支えられながらも過ごしてきました



あたし達の偉大な家族…



家族のこと大切に何があっても全力で…



そんな弟に突然2度と会えなくなりました…




あたし最後に会ったの…

この時やん…

あの時会いに行ってたら少しは異変に気付けたかな?

後悔しなかったかな…




あたしたち家族は地獄のどん底に落ちました



次女は学校に行っても保健室で泣いて授業に戻れません…

お母さんお迎えに来れますか



すぐ迎えに行く日々…

でもあたしも家に一人にして娘おいていけない



あたしも頑張って会社にはいくけど仕事が出来る状態ではない日々

朝から会社にいけない日々





そんな毎日を支えてくれたのが今の旦那

元旦那でした



離婚したあの頃は若くて子供も小さくて…

子供優先なあたしは許せなかったことも

今思うと…

なんで許せなかったんだろう



旦那様は子供の成長みたい

あたしを今でも愛してくれてる事実



あたしも命ある限り本当の家族で暮らしたいと何度も話し合い…

もう一度やり直すことに…



元旦那は今の旦那様となりました




一緒に暮らし始めて入籍して4カ月たったころの再発発覚…



一回目の治療が終わって2年ちょっとの再発…

今回は移植後の2カ月たっ経った頃に後3クールのダラザレックス治療をすることで

この完治がなく

付き合っていかない病気との付き合いをしていく形で

再発防止をする予定で進んでる途中です



まだまだ今日の治療記録までたどり着いてませんが


1回目の多発性骨髄腫についての主治医からの説明は聞きに行きましたが…

闘病は一緒に過ごしてません…



あたしにとっては初めてのことだらけです。



同じ人と2回結婚したあたし達…

今は彼に全身全霊で出来ることを看護師さん主治医さんに相談しながら乗り越えていきたいと思います。



あたしの命が先なのかそれだけは神のみぞ知る…



後悔しないように毎日笑顔で彼を支えていきたいと思います。



次回は緊急入院での治療開始の日々を綴りたいと思います



ここで読者登録していただいた方に感謝しております。

ありがとうございます。



そしてこのコロナの面会禁止の病院事情な大変な時に一生懸命最善を尽くしてくだっさてる医療従事者の皆さんに感謝と



めまいと吐き気が出てきても頑張ってくれてる旦那様に感謝



感謝は忘れず日々毎日病院までの40分以上かかる道のりを面会できなかったとしても

病院に足を運び支えていきます

このブログに出会ったきっかけ

今回旦那様から看護師さんから差し入れしていいものとダメな物リストみたいな紙もらったよ。



ふりかけ持ってきてって言われ持って行ったふりかけがダメみたいで個装でないとダメみたいで回収やーーー


とライン来たのがきっかけでYahooで検索…



あるブログの記事に出会いました…



その人のブログを見ていて…



ほんとに命ある限り一生懸命後悔しないように笑顔でいよう…
そばで支えようと努力してたつもりでした。



しかしそのブロガーさんとあたしが勝手な出会いと思ってるだけど…
自分の甘さを実感…



本当に大変なのはこれから…



しかし妻であるあたしの認識は甘いと実感して
9月2日に再発した日からのことを残そうと思い出しながら…
まだ今日にたどり着かないけど…
今日にたどり着くまで
今日までの半年を忘れてることを思い出いながら綴ることにしました



あたしたちは出会ったのは2002年2月…



そこから半年もかからず運命の人と思い…
あたしは初婚だけど…
弟の子供を預かって育ててたので子連れで
彼にとっては2人目の妻となりました



二人の女の子を授かりました



弟の子供は学校のことや住民票のこと名字のこと…
本当に悩み
弟のところに帰ることとなり、
彼女にとってママはあたし…
本当のお母さんは友達みたいな関係に…



しかしあたしたち夫婦はまだ若かった…
些細なことが許せず蓄積して結婚10年で一回離婚という選択をしました。



それから3年経った頃かな…
彼からがん発覚の連絡があり二人でご飯を食べに行き病状を聞きました




金銭的に苦しいとのことで治療はしないとか
破産するとか
生活保護を受けるとか色んなこと言い出しました



あたしはお金は何とかする
治療のお願いをしました



彼はカードのリボルビングでもするとのこと…



彼と建てた家は連帯保証人だったため名義変更してあたしの家となりました



とにかく彼は何とか仕事に復帰するまで回復しました



そして命について考える事件が起きました